新発見!沖縄148
国民保護の指揮官を選ぶ沖縄県知事選挙
〜島田叡知事に学ぶ、国民保護のための戦場行政〜
(2022年7月19日 八重山日報掲載 )
当コラムでは、台湾・沖縄有事における国民保護について考察を連載してきました。新聞・マスコミにが「基地が有るから狙われる!」と自衛隊や米軍の存在と抑止力を否定しているにもかかわらず、革新県政の沖縄県ですら年度末までに国民保護の図上訓練を実施することになりました。また、石垣市、竹富町、与那国町の市町長会は、沖縄県に武力攻撃が起きた時に万全の体制を構築するよう要求し、更にシェルター設置に対する支援も要請しました。このように、沖縄の行政は台湾有事が現実に起きるものだということを受け入れて、その対応を考え始めています。
しかし、戦後70年以上、日本の政治家も行政官も平和主義の名のもとに戦争は絶対に起きないものだとして、有事のシミュレーションも思考訓練も全くやったことが無いため、様々な課題が横たわっているものと推察いたします。
しかし、有事の際の住民避難について歴史的教材を最も持っているのは、沖縄県です。そして、今年は映画も政策された島守の塔の主人公の島田叡知事と荒井退造警部補の働きこそが大きな教訓になるのです。
昭和19年3月22日、大本営陸軍部は、南西諸島に第32軍の創設、防衛を命じました。その後、米軍が沖縄に上陸する可能性が高いと判断、政府は緊急閣議で、南西諸島の老幼婦女、学童の県外疎開を決定、沖縄県では一般県民の疎開は警察、学童は内政部共学科の担当とし、全警察署に推進を命じ、各地で説明会を開始しました。しかし、当時の県知事、泉守紀と伊場内政部長は疎開に非協力的態度で、「知事は他県への転任運動をしている」との噂が渦巻くようになってきました。8月22日、学童疎開船「対馬丸」、鹿児島県悪石島沖で撃沈。学童766人を含む1484人が遭難してしまいました。このときには、日本軍は疎開させるに十分な制海権を持っていなかったのです。
10月10日、10・10空襲。米機動部隊、早朝から五波にわたり南西諸島大空襲を実施。那覇市の90%が灰になり、12,000余戸羅災、1436人死傷、軍需施設も壊滅的打撃を受けました。荒井警察部長は消火・防火を陣頭指揮、治安と民心安定に努める。泉知事は深夜、独断で県達を発し、県庁を普天間の頭地方事務所に移転、県民の非難浴びました。県庁職員は真和志村の城岳壕、警察部職員は壺屋の自然壕で仮住まい始める。12月初旬、荒井退造警察部長は、来たるときに備えて、那覇市字真地の県庁・警察部壕の拡張工事を開始させました。同時期、第三十二軍は60歳以上の県民と学童を本島北部に疎開させる「南西諸島警備要領」を策定。12月14日、「南西諸島警備要領」について、県と協議した結果、泉知事が反対を表明し、牛島司令官を憤慨させます。更に、12月23日、泉知事は同警備要領問題を內務省などと協議することと、転勤情報を探るため上京。以後、官公庁職員の士気一気に低下、官公吏の県外逃避相次ぐ事になってしまいました。それから、沖縄県は疎開のための指揮官不在のまま、年をこしたのです。その間、孤軍奮闘していたのが荒井退造警察部長です。
翌年、1月11日、大阪府の内政部長を務めていた島田叡が沖縄県知事への内務省内耳を即断即決で完全と拝命し、12日に沖縄県知事に就任、同日泉前知事は上京したまま、転勤工作に成功し香川県知事に就任しました。1月31日、島田叡時事は、トランク二つをさげ単身で沖縄に赴任。県庁舎で執務開始。伊場内政部長に全職員の県庁舎復帰を命令。2月7日、長参謀長、県庁に島田知事を訪問。敵の沖縄来攻近きを告げ、老幼婦女子の北部緊急疎開と住民食糧の六か月分緊急確保を要請。県は即日、戦場行政へ大機構改革。平時の事務を全面停止、疎開と食糧確保に専念、警察部も警備隊に改編を検討。島田の指導力で、沈滞した県庁内の空気一新したのです。県、疎開緊急計画「人口調整要綱」で、那覇、首里両市、中頭、島尻両郡から九万二六九四人を国頭郡へ移動させると発表。
2月27日、島田、台湾米移入交渉で渡台中の真栄城食糧営団理事長の要請で、急ぎ台湾総督府へ飛び、交渉に成功、3月初旬に軍用機で沖縄に戻ります。3月5日、県外疎開が打ち切られます。その後、ご存知のようにべ米軍は3月26日慶良間諸島に上陸、続いて4月1日沖縄本当に上陸、その間、県庁は荒井退造が構築をさせた県庁・警察部壕が戦場行政の拠点となっていました。度々、各市町村の代表が米軍の攻撃をかいくぐりながら、集合し、32軍の情報を入手しながら県民避難の方法について、会議を行っていたのです。それも嘉数台高地が陥落した直後の4月26日が最後の会議となってしまいました。
このように、有事の際、県庁職員は自らの命をかけて県民を避難させていたのです。
さて、9月には沖縄県知事選挙が行われますが、台湾有事が迫った今、県民は島田叡知事のような自らの命を呈して県民を疎開させる知事を選ぶか、泉守紀知事のように真っ先に逃亡するような知事を選ぶか選択がかかった選挙と言えるのです。
次回は、この教訓を元に、誰を残すかというシミュレーションに重要性につい考察死体と思います。