優勝弁論:神谷龍(かみや・りゅう)24歳「国民同胞感と祖国防衛の精神の恢復(かいふく)を目指して」

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優勝弁論:神谷龍(かみや・りゅう)24歳「国民同胞感と祖国防衛の精神の恢復(かいふく)を目指して」

そもそも自分は日本人なのか、沖縄人なのか。日本民族とは別の「琉球民族としてのアイデンティティー」を強調し始めた基地反対運動と、「いつの時代も沖縄は日本に巻き込まれ、利用されてきた」という被害者の視点から語られる歴史教育がこの問いを生み、私の頭を悩ませました。

その中にあって、確固たる自分のアイデンティティーを求めて学び始めたのが沖縄戦と祖国復帰の歴史です。沖縄戦がいかに激しい戦いであったか、筆舌に尽くし難い当時の状況を改めて認識しました。そしてその戦いに、私よりも若いほんの中学生ほどの男子生徒や女子学生までが、「祖国のため」という言葉を遺し、若い命を散らしたことに涙が出てきました。

「戦争に巻き込まれた」という被害者史観とは真逆で、戦争という時代の運命から決して逃避することなく、祖国防衛の使命を自覚し、国家の主体者として一生の全てを尽くした悲しくも尊ぶべき沖縄県民の姿を見ました。字義通り、「我が身を盾にして」日本を守った沖縄県民は、立派な日本人であったと心から思いました。

それにもかかわらず戦後27年間、沖縄は米軍統治下に置かれますが、その中にあって県民一人一人が願い、選んだ道は、異民族への従順でもなければ、沖縄独立でもない、祖国日本への復帰でありました。

「沖縄県民にとっての日本」とは紛れもなく祖国であったわけです。私達沖縄県民の先輩方は、戦時中は命懸けで祖国を守り、戦後はたとえ国土が分断されようとも復帰の実現によって沖縄と本土の「日本民族としての絆」を守り抜かれたことに気付きました。この歴史に感謝と誇りの念を抱くと共に、沖縄にこそ祖国防衛の使命があることを感じます。

祖国復帰の真実、日本民族にとっての沖縄とは何かを語るにあたって、私が忘れてはならないと思うのが金城和信先生です。しかし、和信先生は沖縄の祖国復帰を声高に訴えた方ではありません。

この方は、沖縄戦の戦歿者の遺骨拾収と慰霊、そして遺家族への支援に余生の全てを捧げた方です。占領初期の沖縄では至る所に遺骨が散らばっていながらも、その拾収は米軍に敵対行為とみなされる恐れがあったので、誰一人手を触れようとしませんでした。

また、祖国に殉じた方やその遺家族に対して物心両面から処遇することは、本来国の務めでありますが、当時は日本に主権はありませんでしたので政府も何もできませんでした。その状況の中、和信先生は「遺骨の拾収によって刑に処せられることがあるならば、自分は喜んでこの首を供する」と断言し、命懸けで同胞の遺骨を拾収し、遂には慰霊塔を建立しました。

それが魂魄の塔、ひめゆりの塔、健児の塔、しづたまの碑であります。祖国の運命に命を捧げたのにもかかわらず、その御霊は還る場所を見失い、且つ見捨てられかけていた中、日本政府と一億国民に代わって唯一人和信先生は手を差し伸べ、「国のいのち」に連なった存在として祖国のもとに還し、御霊を守ったのであります。

慰霊とは国民の務めであり、その意味は「御霊安らかなれ」と祈ることに加えて、御霊の精神の顕彰、歴史の継承にあると思います。沖縄戦で命を散らした御霊の精神とは、祖国を守らむとする防人の精神そのものです。

そして自分達、沖縄県が祖国に復帰するよりも先に、国に殉じた家族・同胞を祖国のもとに還したことが、「自分達もそこに連なり、必ず祖国のもとに還るんだ」という祖国復帰の信念の源となり、その実現につながったのだと思わずにはおれません。この5月15日という日は、英霊・沖縄・祖国が一体となった日本民族共通の歴史です。

これが祖国復帰の真実であり、日本民族にとって沖縄とは同胞、一体であることをおいて他にありえません。

私は、学生であった昨年、仲間と共に全国41大学を巡り、5021名の学生に対して自衛隊を憲法に明記することについての賛否を伺うアンケートを行い、「よく分からない」と答える学生には対話する中でその意義を伝えてきました。

理由は、航空自衛隊によるスクランブル発進の回数が年間1168回を記録したこと、すなわち国の存立を脅かす危機が目前に差し迫っているにもかかわらず、国家の最高学府たる大学の学問が現実と乖離していたからです。

特に憲法改正が国民の注目を集めている中に受講した「日本国憲法」の講義の内容は、全15回の内11回が人権論と偏っていました。今、真に語るべきは人権よりも国家主権ではないでしょうか。

アンケートの結果、85%にあたる4276名の学生が「憲法への自衛隊明記には賛成」と答えたのですが、そこで見た学生の実態は「自分には関係ない」、「戦争になって被害を受けるより白旗を挙げた方がよい」という発言をする、国防の意識が欠落した無責任な個人の姿でした。

この実態に一層危機感を覚えると同時に、祖国日本を守った沖縄県民の後に続く者である自分こそ憲法改正に力を尽くす決意を固くしました。

私にとって憲法改正とは、決して自衛隊明記に留まるものではなく、国民同胞感と祖国防衛の精神を恢復する「国民精神の立て直し」であり、沖縄戦、祖国復帰に連なる日本を守る戦いです。

私は今年の4月に就職し、社会人となりましたが、改めて祖国復帰の日を心に刻み、自分の立場から日本を守る戦いを全うしていきたいと思います。