学校が教えない日本の中の沖縄史
■侵略にすり替えられた民族統一の歴史
「沖縄はもともと琉球王国という日本とは別の国であり、1609年の【薩摩侵攻】により植民地として搾取支配され、一方、明や清とも朝貢冊封関係にあり日支両属の地位にあったが、明治12年の【琉球処分】により、強制的に沖縄県が設置され、琉球王国は滅ぼされた。」
これは、1960年代後半から急に普及し始めた沖縄の歴史観ですが、日本を滅ぼす亡国の歴史観です。特に、【薩摩侵攻】と【琉球処分】の二つの単語は、日本民族統一の歴史を侵略の歴史にすり替え、日本民族の心に亀裂を入れ続けているのです。
沖縄が米軍統治下にあった昭和28年、参議院に参考人として招かれ演説をした沖縄教職員会会長の屋良朝苗氏は次のような発言を残しています。
「いやしくも祖国を有し、それと一連の共通の文化と歴史を持ち、日本人としての民族的矜持を有する沖縄の住民が、どうしていつまでも異民族の統治下に満足しておられましようか。」
このように沖縄県民は、日本人だからこそ、日本への復帰を熱く望んだのです。決して、米軍基地を撤去したいための手段として日本への復帰を望んだのではありません。もし、沖縄の人が琉球人という別の民族だったら、米軍統治を独立のチャンスとして大きな独立運動が起きたはずです。
沖縄の文化や言語を学べば学ぶほど、沖縄は日本であることがわかってきます。最近は更にDNA分析でも日本人と同一であることがわかっています。それでは、江戸時代以前、琉球王国とよばれている国は日本だったのでしょうか?それとも外国だったのでしょうか?
■南国の戦国大名「琉球」の栄枯盛衰
ご存知のように、日本は西暦600年から遣隋使や遣唐使を派遣して、隋や唐の律令制度を日本に適用させて取り入れ、中央集権国家体制を築いていきました。ただし、明治の中央集権国家と異なり、当時は各地に律令国があり、中央の支配を受けながらも半分は独立していたのです。ただし、琉球は中央から離れているため支配が届きにくく律令制度下に組み込まれること無く、独自の制度で国家を形成発展させていきました。14世紀には沖縄本島で三つの勢力が競い、三山時代と呼ばれていましたが、1429年、中山王の尚巴志(しょうはし)が三山統一を果たします。続いて室町幕府の全国支配弱体化した中、琉球は1447年に奄美大島、1466年に喜界島を支配下に置きます。1477年、琉球の黄金期を築いた尚真王が就任し、1500年、琉球への朝貢を断った八重山を征伐し支配下に置きます。この時の琉球は奄美から与那国島までを支配下に置く、日本最大の版図を持つ戦国大名と言っても良いのではないでしょうか。
一方、中央では、戦国時代を勝ち残った徳川家康が江戸幕府を開き、関ヶ原の闘いで家康に抗する西軍として参加した島津は、何とか本領を安堵されます。その6年後の1609年、島津は家康の許可をもらい琉球征伐を行い、奄美を島津の直轄地、沖縄本島以南の琉球を存続させた形で支配しました。それでは、奄美と琉球は島津に侵略されたのかというとそうではありません。沖縄県民が日本人であるなら、秀吉の九州征伐と同じように琉球征伐は国家統一のための戦争と認識するべきです。また、琉球は長い間律令制度の外にあったから外国と見るべきではなく、異なる国家形成のプロセスを経た同じ日本民族の歴史と捉えるべきです。
■最も大陸の影響を受けなかった地域
ここで、一つ以外なことを申し上げたいと思います。それは、沖縄は日本で最も大陸文化の影響を受けず日本古来の文化がそのまま残っている地域だということです。琉球国時代に明や清と冊封朝貢関係にあったので、沖縄は日本本土より大陸の影響を受けていると思いこんでいるのですが、実は逆なのです。日本の中央では前述したように600年の遣隋使から律令制度や仏教など大陸文化を取り入れ始めました。一方、琉球が大陸に朝貢をしたのは、中山王の察度が1372年に明に朝貢したのが初めてです。そのため、日本中央と異なり近代に至るまで残り続けたのが、女性神官制度です。各地に祭祀や祈願行事を行う祝女(のろ)と呼ばれる女性神官が存在し、琉球全土の祝女の頂点に立つ女性神官を聞得大君(きこえおおきみ)と称していました。初代の聞得大君は尚真王(在位1477年〜1527年)の妹が就任し、最後は1944年、最後の琉球王、尚泰の長女、今帰仁延子(在位1887年〜1944年)が18代聞得大君に就任し、戦後廃職されました。これは、祭政一致の日本神道が化石のように敗戦直前まで続いていたと見てよいのではないかと思います。この影響を現在最も受けていると思われるのが、沖縄の音楽です。女性神官の祈りの声の抑揚や発声が民謡として伝わり、それが現在の沖縄ポップスにも受け継がれているのではないかと思います。つまり、沖縄ポップスが全国で老若男女に流行るのは、異国情緒が理由ではなく、魂の郷愁を感じさせるからであり、沖縄の中にこそ、日本民族の魂の原点が残っているものと筆者は確信しています。
■民族とは歴史と使命を共有した運命共同体
さて、現在、沖縄問題というと米軍基地問題が思い浮かびますが、その根底には沖縄県民の被害者意識があり、更にその奥を見ると、日本に滅ぼされた琉球王国という歴史観があり、その実態は中国にとって都合の良い、華夷秩序の中の琉球史だということもわかってきました。私はこの問題にぶつかり、民族とは何なのかを考え続け、一つの結論に達しました。それは、「民族とは歴史と使命を共有した運命共同体」だということです。歴史を共有するからこそ、その志を引き継いで、共に日本を守る使命感を持つことができるのです。よって、永遠に繁栄する日本を再建するためには、華夷秩序の中の琉球史を日本民族の手に取り戻し、日本史の中の沖縄史を再構築することこそ急務なのです。その実現を熱願して、今年4月に上梓したのが、拙著、「沖縄はいつから日本なのか」〜学校が教えない日本の中の沖縄史〜(ハート出版)です。ご一読いただければ幸甚です。