沖縄対策本部長■平成24年(2012年)は日本の自主防衛、最後のチャンス

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■平成24年(2012年)は日本の自主防衛、最後のチャンス

■敗戦後二度逃した自主防衛のチャンス

新年あけましておめでとうございます。

今年、平成24年(2012年)は、日本を守る最後の勝負の年です。決して負けられない戦いの年です。今年こそが、日本が自主防衛をする最後のチャンスの年と言えると思います。今年のチャンスを逃したら日本は永遠に自主防衛する事ができなくなってしまいます。つまり、植民地支配されてしまうという事です。日本は戦後60年以上経っても敗戦の後遺症から立ち上がること無く、未だに自主防衛する事ができずにいます。

実は、敗戦後日本が自主防衛を行うチャンスが2度あったのです。

その二度とも日本は国家存亡の危機の中にありました。しかし、日本国民は自分たちが国家存亡の危機の中にある事を知らず安眠を貪り自主防衛する気概を持つこと無く過ごしてきたのです。

■自主防衛の大チャンスだったサンフランシスコ講話会議

一度目はサンフランシスコ講和会議の時です。

1950年6月25日朝鮮戦争が勃発しました。1950年9月段階では、国務省と軍部は朝鮮戦争の終結まで平和条約を締結しないという方針で合意していました。しかし、1951年の1月、朝鮮半島で米軍の敗退が続く中、米軍統合参謀本部は万一の場合は朝鮮を撤退して日本の守りを固める計画でした。そうなれば日本の防衛軍の増強が必要になります。ダレス特使は日本人が米軍敗退の政治的、軍事的意味に気が付かない内に日本と平和条約を結び、自由主義陣営につける決意をします。1951年はじめに政府内の調整を終えて来日します。ダレス特使は、吉田茂に次のように再軍備を迫りました。

「日本は独立回復ばかり口にするが、自由世界の一員になる以上、貢献せねばならない。」

「米国は世界の自由のために戦っているが、日本は、いかなる貢献をするのか」。

吉田首相は、

「日本が差し当たり出来るのは再軍備と言うよりも、工業力や労働力での貢献である。」

と反論します。ダレス特使は、

「警察力や工業力だけではだめだ。日本はある程度の地上軍で協力すべきだ。」

と執拗に日本の再軍備を求めましたが、交渉は行き詰まり、結局、日本は独立後に小規模の国防軍を作って経済力に応じて増強していくことを約束したのです。

しかし、憲法9条の足枷は先送りにされたのです。

■核保有のチャンスだった沖縄祖国復帰

二度目は沖縄返還の時です。沖縄返還とはいったい、日本にとってどのような意味があったのでしょうか?

沖縄返還によりサンフランシスコ講話条約により失った領土が平和裏に日本に返ってきました。

敗戦した事による最大の負の遺産が解消された出来事だったのです。日本はこの時に敗戦国意識を捨てて自主防衛するべきだったのです。また、当時、東アジア情勢は緊迫していました。中華人民共和国が地下核実験、人工衛星の打ち上げに成功し実質核保有国となっていたからです。沖縄の施政権返還が「核抜き本土並み」に決定した事を受け韓国の朴大統領は、核抑止力が低下する事に危機感を持ち、進歩した核兵器が沖繩に配置される事が必要と佐藤栄作総理大臣にお願いしていました。

<外交文書公開 韓国大統領 沖縄返還で核配備言及 >

また、佐藤総理大臣は日本の核保有の検討も行なっており、当時の日本政府は「自衛の正当な目的を達成する限度内の核兵器であれば、これを保有することが憲法に反するものではない。」という公式見解をだしていました。

<「日本の核武装」を検討していた佐藤栄作総理大臣 >

しかし、沖縄返還後の2ヶ月後、日本列島改造論をぶちあげた田中角栄が総理大臣になり、中華人民共和国との日中共同声明を調印しました。日中国交回復は中国共産党の第一期対日政治工作であるにもかかわらず、「日中関係の正常化」で警戒意識を失ってしまいました。

中国の核保有に対し日本も核武装するべきだった時に見事中国の罠にはまり大きなチャンスを失ってしまったのでした。

■日米安保条約への依存が自主防衛のチャンスを失わせた

さて、この2度のチャンスは実は日本の国家存亡の危機の時でもありました。

サンフランシスコ講和条約調印時は、戦前なら日本の生命線だった朝鮮半島が戦争の真っ最中でした。また、沖縄返還協定調印時は、中華人民共和国が核保有国になり日本も韓国もその射程にはいり緊迫した状況の中にあったのでした。

この二つの国家的危機を日本国民は全く知らず、意識すらせずに過ごしてきました。それでも日本が滅びること無く存続できたのは、ひとえに米国の軍事力の傘の下で日本が存続を続けてきたからです。

■3度目の危機は米国依存の平和ボケは通用しない。

そして、日本と国交回復した中国は日本の経済的支援の元、軍事力を急速に拡大してきました。日本に金をねだり、そのお金で日本を脅す兵器の開発を続けてきたのです。三国志時代の謀略を現在も行い続けているのです。ここ数年、中国は軍拡により東アジアの覇権を米国から奪いとろうとしています。特に南シナ海と東シナ海を文字通り中国の海にしようと露骨に動き始めてきました。そして、ついに昨年末、米国と中国の冷戦が実質的に始まりました。最初の数年は米国は持ちこたえるかも知れません。しかし、経済的に疲弊してきている米国はこの冷戦が長引けば長引くほど東アジアから撤退していく可能性が高いのです。

つまり、日本は今回ばかりは米国依存の平和ボケは許されないということです。最初から自国のみで中国の脅威から自分の国を守ることを前提で動かなければならないということです。

■『専守防衛』とは日本国土内で民間人を戦火に晒しながら国を守ること

日本は「専守防衛」という方針を早急に捨てなければならない事態にはいったと思います。専守防衛とは戦争は日本の領土内で行うという方針の事です。つまり、大東亜戦争の最後に日本は沖繩への米軍の上陸を許してしまいましたが、今度の戦争は沖繩戦のような状態から始まるということです。台湾有事だとまさしく沖縄戦が始まり朝鮮有事だと北九州への上陸から戦争が始まります。当然、民間人も戦火にさらされるということです。

日本国民に問いかけなければなりません。

<日本国民の皆様へ>

『専守防衛』とは民間人の皆様を戦火に晒しながら国を守ることです。朝鮮有事や台湾有事の際はその可能性があります。また、自衛隊は国民の皆様を守るための法整備ができていないので、想定外だらけなのでどこまで戦えるかわかりません。遺族年金制度もありませんので家族を大切にする自衛官は退職するかもしれません。しかし、軍事裁判制度ありませんので敵前逃亡罪はありません。もし、そのような事があっても「自衛隊は軍隊ではない」という考えを承認してきた国民に責任がありますので自衛官を非難する資格はありません。また、現在の日本は「日本は素晴らしい国だ」と言った自衛隊の指揮官を更迭したので自衛官がもし「日本は悪い国なので、命をかけてまで守る必要は無い」と言っても決して非難しないでください。

もし、それが困るというのなら、素晴らしい国日本を守る、日本軍の必要を認め、専守防衛や非核三原則という亡国方針を捨てるよう政府に働きかけてください。