【連載】◇中国空軍の第二列島線制覇巡航◇第3回「日中友好に騙され続けてきた自民党政府」

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■第3回「日中友好に騙され続けてきた自民党政府」

日本国内に日中友好協会が設立されたのは、昭和二十五年十月一日である。ちょうど中華人民共和国が建国一周年記念日だ。その時に発表された設立趣旨を列挙する。

一、本協会は、日本国民の誤った中国観を深く反省し、これが是正に努力する。

二、本協会は、日中両国人民の相互理解と協力を打ち立てるため、両国文化の交流に努力する。

三、本協会は、日中両国の経済建設と人民生活の向上に資するため、日中貿易の促進に努力する。

四、本協会は、日中両国人民の友好提携により、相互の安全と平和をはかり、もって世界平和に貢献する。

続いて同日発表された活動方針がある。七項目のうちの第一番目のみを紹介する。

一、友好運動の原則

 われわれの友好運動は、相互の国家機関を通じない人民的な友好運動である。過去の日本がおかした帝国主義的侵略のあやまちを深く反省した上、相互の敬愛と平等の立場のうえにおいて、始めて両国人民がかたく手を握るべきであることに賛成する人々は、その階級、職業、政治的に信念の如何を問わず、各層各界にわたって、全て本会の会員たり得るものでなければならない。

日中友好協会の日本国内での活動は中国の建国とほぼ同時に開始され、二十二年間の活動の結果、昭和四七年に、日中国交正常化が実現したということになる。では、その運動はどのようなものだったのだろうか。まず、上記設立趣旨の第一項を御覧いただきたい、「日本国民の誤った中国観を深く反省し」また、友好運動の原則には、「過去の日本がおかした帝国主義的侵略のあやまちを深く反省した上、」とあり、日本に親中イメージと自虐史観を植え付けようとしている。現在の南京大虐殺プロパガンダの原型が発足時にあったのだ。そして、歴史に埋もれてほとんどの人が忘れているが、昭和三九年十月一六日、東京オリンピックの真っ最中に、中国は最初の核実験を行った。それに対して、日中友好協会は声明を発表した。その内容は、「中国が核実験を行うのは迫られて余儀ない措置である。」という中国の言い訳のような声明を紹介し、次のように続いている。

《かつて日本軍国主義は、長年にわたって中国侵略を行ってきた。我が国歴代内閣は戦後一度も中華人民共和国政府、六億五千万人民に対し、反省の態度を表明したことはなく、それとは正反対にアメリカの中国敵視政策に追随して、中国人民の敵である蒋介石グループと結び付きを強め『二つの中国』を作り出す陰謀に加担し、一貫して、国交回復と中国の国連における正当な地位の回復を妨げてきた。そればかりか我が国には中国を対象とする二百余のアメリカ軍事基地が設けられ、現にF105D原爆搭載戦闘爆撃機は、我が国の上空で連日中国向けの爆撃訓練を行っている。我が国の領土沖縄はアメリカの直接占領下に中国をめざす強大な核攻撃の基地とされており、いままた米原子力潜水艦の寄港さえも強要されている。この事実はアメリカが、我が国を最大の核基地として、「中国封じ込め」と核脅迫を行っていることの何よりも明らかな証拠である。》

と日本への謝罪、中華民国との断行、在日米軍の核基地撤去を要求して最後に以下の文章で締めくくっている。

《また、中国の核実験を悪意をもって利用し、これを機会に日中両国民の友誼を破壊し、日中離間を策動し、我が国の核武装化、憲法改悪をねらうなどの動きに対しては、これを厳しく警戒し、断固たる態度で反対運動を行うとともに、日台条約を破棄し、国連における中国の正当な地位実現にむかって国民とともに邁進するものである。》

この声明は、今で言えば、北朝鮮が核実験を行った時に、それを擁護し、韓国と断交し、日朝国交回復を進めるべきだという声明を出したに等しい。しかし、この声明が出された時、これを批判する世論が起きることはなかった。その証拠に、この声明から六年後に、日中国交正常化は実現してしまったのだ。

彼らがもう一つ成功したことがある。それは、日本の核武装解除である。沖縄県祖国復帰協議会の編纂した写真集に昭和三十七年二月二二日に開催された沖縄解放県民大会の写真が掲載されている。そのステージの垂れ幕の一つには、「一切の核兵器を持ちされ」と書かれている。これは、扇動された沖縄県民の願いとして政府へ要求されたが、その発信源は米国の核を怖がっていた毛沢東の悲願でもあったのだ。それが、沖縄返還協定の批准と同日に実現してしまったのだ。昭和四十六年年一一月一七日、衆議院特別委員会で沖縄返還協定が批准され、続いて二四日に衆議院本会議で承認された。しかし、同日の付帯決議として、非核三原則が始めて国会で決議されたのだ。今日本は北朝鮮のミサイルに脅かされているが、これが日本の核武装を絶望的にした歴史的瞬間でもあったのだ。

さて、翻って日中友好の歴史を見ると、深慮遠謀な中国の戦略に対して、受け身で目先対応の日本政府と言わざるをえない。

中国は一九六〇年代から七二年にかけて、今の北朝鮮と同じく人民が餓死しても自らは自国による核開発を推進し、日本にては日米安保破棄と核アレルギーと親中の世論工作を行い、日米安保破棄には失敗したものの、非核三原則を日本の国是にさせ、米軍の核基地をも撤去させ、その日本と国交回復し、更には国連の常任理事国に入り込むという離れ業を成し遂げたのである。

つまり、当時の自民党政府は、非核三原則という自縄自縛の罠に陥ったことも気が付かずに、日中国交回復に突き進んでいったのだ。

そして、今、中国は前述したように「第二列島線制覇」の戦略を着々と進めている。これが実現すると、中国を大陸に閉じ込めていた第一列島線が、今度は、米国の太平洋覇権を押し返す、海の万里の長城と転じるのだ。つまり、沖縄は、米国の太平洋覇権と中国の第二列島制覇の突破口であり、米中のせめぎ合いの地なのだ。

現在自民党政府は、沖縄問題といえば、基地問題。基地問題は沖縄県民の感情の問題。よって沖縄問題を解決するためには(抑止力を維持したままの)基地負担軽減と捉えているようだ。しかし、その認識では永遠に沖縄問題が解決しないどころか、中国に奪われてしまう。沖縄問題の裏には中国の巧みな世論工作があり、最終的には沖縄を独立させて中国の支配下におくことにあるからだ。つまり、沖縄問題の本質は中国の「第二列島線制覇」の裏メニューなのだ。

日中友好を推進する自民党政府は、是非、一度立ち止まって過去の日中友好の歴史の成功と失敗をしっかりと分析していただきたい。そうすれば、日中友好とは幻だったことが明らかになるだろう。そして、これから、早急に米国とともに中国の「第二列島線制覇」に対抗する、軍事戦略を立案しなければならない。

おわり

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