今後、日本政府は中国と尖閣諸島をめぐって熾烈な外交交渉を行い日本の主権を守らなければなりません。それは、これから行われる衆議院選挙の結果どの政党が政権の座を獲得しようが避けられません。最近の中国の主張は日本人の理解をはるかに超えています。
まずは、11月6日のニュースを御覧ください。
(編注:元動画が削除されていたため、類似の動画に差し替えました2017.09.27)
(抜粋)アジア・ヨーロッパのおよそ50カ国の首脳が集まる中、日中両国が激しく火花を散らした。
尖閣諸島について直接触れ、中国側の主張を、「釣魚島(魚釣島)についての中国側の主張は一貫している。反ファシズム戦争の結果は否定できず、戦後秩序を否定してはいけない」と述べた楊潔チ外相。
これに対し、野田首相が反論した。
野田首相は「尖閣諸島はわが国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も疑いがなく、わが国は現にこれを有効に支配している。したがって、尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題は、そもそも存在していない」と述べた。
これに再び反論した揚外相。
中国の揚外相は「釣魚島(魚釣島)は昔から中国の領土として、明の時代から600年間支配している。「日本の行動は、戦後の国際秩序と原則への重大な挑戦だ」と述べた。
このニュースで中国側が主張した「戦後の国際秩序」とは何のことを言っているのか日本人には全く理解できません。
1968年に尖閣諸島周辺海域に石油が埋蔵されている可能性が指摘された直後に突然、尖閣諸島の領有を主張し始めた中国こそが国際法を無視ししているのではないかと誰もが思います。
あまりにも非常識ででたらめな発言ですので、議論することも、ましてや彼らの言い分を理解してあげる努力をす気など全く起きないことだと思います。
しかし、中国共産党が嘘をつくには必ず目的と理由があります。その嘘は日本を罠にはめるためであり、中国にとって有利な立場を獲得するためである事は間違いありません。という事は、日本人が彼らの主張を理解不能で思考停止している、今の状態は中国の願うところであり、日本の立場は危機に追いやられているということになります。
それなら、日本の国家主権を守るための危機管理の観点からも、中国の主張する「戦後の国際秩序」の真意を理解し、理論武装し適切な中国の上をいく外交交渉を進めていくことが必要です。
幸い、その本音と思われる具体的な主張を中国網日本語版が伝えています。
<琉球も釣魚島も日本の領土ではない 専門家が国際法で証明>
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2012-09/14/content_26524309_2.htm
このほど中日の釣魚島(日本名:尖閣諸島)を巡る争いが激化している。国際法から論じれば、釣魚島が日本の領土でないばかりか、沖縄でさえ日本の領土ではない。
日本人の称する沖縄とは、我々の先祖が呼ぶ琉球のことである。史料を紐解くと、14−19世紀の琉球は中国の藩属国であり、約500年間に渡り明・清王朝に貢ぎ物を捧げていた。甲午戦争(日本名:日清戦争)前、日本は武力により琉球を占領した。清王朝は海戦に敗北すると、『馬関条約』(下関条約)に調印し台湾を割譲し、琉球も手放した。その後100年余りに渡り、琉球は日本文化による影響を受けたが、歴史の根源や両地の交流から見れば、中国の琉球に対する影響の方が大きい。歴史の流れを振り返れば、琉球は日本固有の領土ではなく、日本が武力拡張により得た獲物である。
琉球の法的地位の変化について、『カイロ宣言』、『ポツダム宣言』、『サンフランシスコ講和条約』という3つの最も重要な国際公約がある。
『カイロ宣言』は1943年、日本が「盗み取った」(stolen)中国の領土を剥奪すると宣言した。釣魚島は日本に盗み取られたため、中国に返還しなければならない。1945年の『ポツダム宣言』には、「日本国ノ主権ハ本州、 北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」と、より明確に定められている。琉球の法的地位の転換点は、1951年の『サンフランシスコ講和条約』だ。同条約は冷戦による政治的産物である。当時の米国と中国人民志願軍は、朝鮮で交戦中であったため、『ポツダム宣言』の公約を実現することはなかった。日本を冷戦の自陣営に巻き込むため、米国は日本の四島以外の島嶼を処理する際に、中国側の同意を得ることはなかった。同条約の講和会議には当時50数カ国が出席したが、中国は出席しなかった。同条約は、日本が朝鮮や台湾等を放棄することを宣言したが、独島(日本名:竹島)、南千島群島(日本名:北方四島)、釣魚島等については明記されていなかった。日本は琉球諸島に対する管理を米国に委託することに同意したが、管理の委託は法律的に、琉球が日本の領土であることを裏付けることができない。
中国とソ連は同条約に調印しなかった。中国政府は琉球と釣魚島の日本への割譲に同意したことはない。国際公約は締約国に対してのみ有効だが、締約拒否国に対しては無効だ。ゆえに中国は『サンフランシスコ講和条約』の効力を認めず、本州・北海道・九州・四国以外の島嶼に対する日本の主権に対して、意見を保留することができる。
米国は1971年に沖縄の委託管理権を日本に授けたが、同様に『ポツダム宣言』の3カ国の同意を得ることはなかった。国際法から言えばこれは無効で、『ポツダム宣言』に違反しており、かつ国際法の中では両国政府が他国の領土を非公開で受け渡しする慣例はない。
以上の分析から、琉球が日本の領土ではなく、釣魚島も当然そうではないことが明らかだ。米国は現在、釣魚島問題について表面的には静観を決め込んでいるが、実際には日本側に加担している。これは国際法をないがしろにし、日本の新軍国主義を後押しするやり方だ。中日の釣魚島を巡る争いによる共倒れは、米国の最大の利益に合致するのかもしれない。
■中国の真意:「沖縄返還協定」は戦後国際秩序の原則である「ポツダム宣言」に違反している。
この記事では、いきなり「国際法から論じれば、釣魚島が日本の領土でないばかりか、沖縄でさえ日本の領土ではない。」と驚くべき主張しています。そして、その根拠が『カイロ宣言』、『ポツダム宣言』、『サンフランシスコ講和条約』だと主張しています。あとはその理由を述べています。
彼らの主張を要約してみます。
◎日本はポツダム宣言で主権が北海道、本州、四国、九州の限られると定められたから沖縄の主権は放棄したはずだ。
◎サンフランシス講和条約で沖縄は米国の管理下におかれたが、それは沖縄が日本の領土である理由にはならない。
◎米国は1971年に沖縄の施政権を日本に返還したが、ポツダム宣言に参加した中国の同意を得ていない。
◎だから「沖縄返還協定」は「ポツダム宣言」違反である。
ということになります。
これが、「日本の行動は、戦後の国際秩序と原則への重大な挑戦だ」の真意だということです。
つまり、戦後秩序はポツダム宣言であり、サンフランシスコ講和条約、沖縄返還協定はポツダム宣言違反だとういことです。
尖閣諸島の主権で外交を行なっていると思ったら大きな間違いで、彼らは合法的に沖縄の主権を奪うための外交を始めたということなのです。
■サンフランシスコ講和条約では日本に沖縄の潜在主権は認められていた。
1951年9月8日日本はサンフランシスコ講和条約を締結し、その三条にてアメリカ合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におかれる事が決まりました。しかし、中国が主張しているように日本は沖縄の主権を放棄したわけではありません。潜在主権(残存主権ともいう)という単語は、講和条約の条文にはでてきませんが、講和会議の演説において、米国、英国、日本の全権の演説において発言をしています。
下記に、米国全権ダレスの演説を紹介いたします。
<サンフランシスコ講話条約 ダレス米国全権演説(1951年9月5日)>三条関連部分を抜粋
Article 3 deals with the Ryukyus and other islands to the south and southeast of Japan. These, since the surrender, have been under the sole administration of the United States.
Several of the Allied Powers urged that the treaty should require Japan to renounce its sovereignty over these islands in favor of United States sovereignty. Others suggested that these islands should be restored completely to Japan.
In the face of this division of Allied opinion, the United States felt that the best formula would be to permit Japan to retain residual sovereignty, while making it possible for these islands to he brought into the United Nations trusteeship system, with the United States as administering authority.<日本語訳>
第三条は、琉球諸島及び日本の南及び南東の諸島を取り扱っています。これらの諸島は、降伏以降合衆国の単独行政権の下にあります。若干の連合国は、合衆国主権のためにこれらの諸島に対する主権を日本が放棄することを本条約に規定することを力説しました。他の諸国は、これらの諸島は日本に完全に復帰せしめられるべであると提議しました。連合国のこの意見の相違にも拘わらず、合衆国は、最善の方法は、合衆国を施政権者とする国連信託統治制度の下にこれらの諸島を置くことを可能にし、日本に残存主権を許すことであると感じました。
(全文_英文)http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/JPUS/19510905.S1E.html
戦後、米軍統治下におかれた沖縄県民は米国国民になったわけではありません。施政権は米国にありましたが日本国民だったのです。ましてや、潜在的に中国人だったわけでは全くありません。
ここで、あたり前のことですが、非常識な中国には明確に主張しなければなりません。
「沖縄県民は、戦前も、戦後の米軍統治下でも、1972年に祖国日本へ復帰したあとも、一貫して日本人だった。」
日本が沖縄を切り捨てたことは無いのです。
(仲村覚)