寄稿論文■夕刊フジ連載(4)毛沢東と復帰運動 琉球を狙う中国共産党の壮大な野望

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毛沢東と沖縄復帰運動

 沖縄が抱える問題を考えるうえで、注目すべき資料がある。1964年1月22日の中国・人民日報に掲載された、中国建国の父・毛沢東の発言(共産党新聞網・毛沢東文集第八巻)である。

 「中国人民は、強固に日本人民の偉大なる愛国闘争を支持する」とのタイトルで、毛沢東は「米軍基地撤去要求、日米安全保障条約の廃止、日本の領土沖縄返還要求。すべてこれは日本人民の意思と願望を反映しており、中国人民は心から日本の正義の戦いを支援する」と語っている。

 64年1月といえば、池田勇人首相時代で、沖縄返還(72年)を成し遂げる佐藤栄作首相が誕生するのは同年11月。毛沢東は当時、「日本への冲縄返還」を支持していたのだ。

 沖縄復帰運動は60年代初め、純粋に日の丸を振って始まったが、復帰が具体化してきた67年ごろから反米闘争と化していった。運動を推進した祖国復帰協議会が69年3月に開いた定期総会では、基本目標として「対日平和条約第三条の撤廃」「日本国憲法の適用」「軍事基地撤去」「日米安保条約の撤廃」が掲げられた。

 これらは、先の毛沢東発言と一致するだけでなく、70年安保闘争で革新勢力が掲げたスローガンとも一致する。公安当局の解説を待つまでもなく、毛沢東は沖縄復帰に介入・利用して米国を追い出し、日本や沖縄の赤化(共産主義化)を狙っていたとみられる。

 毛沢東にとって、米軍基地を残したままでの沖縄復帰は計算違いだったかもしれないが、中国共産党の壮大な野望をうかがわせる資料がある。東京大学の石井明名誉教授が2010年に記した「中国の琉球・沖縄政策」という論文である。

 これによると、冲縄返還が近づいた72年、沖縄県中国友好訪問団が中国で周恩来首相と会見した。この席で、周恩来は「沖縄返還協定はペテンであるが、しかし、これは返還の始まりとみることができる」と発言したという。

 沖縄返還を受けての「返還の始まり」とは、現在の中国が主張する「沖縄(琉球)は中国の属国だった=中国への沖縄返還」につながりそうだ。沖縄復帰運動に当時の中国共産党が介入していたように、いまも沖縄での反基地運動などに潜入している可能性は高い。

 沖縄返還協定は71年11月24日衆院本会議で可決され、同年12月22日には参院本会議でも可決された。中国が外交部声明として「尖閣諸島は昔からの中国の領土である」と主張し始めたのは、その1週間後の同年12月30日である。中国は当時から、尖閣を日本や沖縄の赤化カードとして狙っていたのだろう。