洋上にて揺れる漁船
2010年7月3日あしたかよしのぶ尖閣諸島へ5.mpg
更に波が荒れてきて、船長に巡視船から再三連絡があり、遂に巡視船からゴムボートが下ろされ、洋上を駆け回る。
2010年7月3日あしたかよしのぶ尖閣諸島へ6.mpg
遂に、ゴムボートが漁船に接舷、保安庁職員がゴムボートから漁船に乗り込んできた。
2010年7月3日あしたかよしのぶ尖閣諸島へ7.mpg
瞬く内に、保安庁職員が漁船を制圧。
保安庁職員の指揮下、漁船は西表島上原港に向け進路を変更し、帰港の途についた。
深更11時。
海上保安庁に確保された漁船。西表島に帰港。
2010年7月3日あしたかよしのぶ尖閣諸島へ8.mpg
私自身は、自分が以前から船に弱いのは熟知していたので当然ではあるが、漁船が停船して荒波に揉まれている間に、ひどい船酔いに襲われた。船酔いは尖閣までの旅程では覚悟の上であったし、如何に苦しもうと死ぬことはない、といった思いでの出航であった。私自身の役割は、西表島を出航するときと、尖閣諸島魚釣島に到着してからの仕事と分担していた。帰港する漁船の船上で見た南国の本当の暗闇での夜空の星ボシのギラギラ輝くような明かりが、まるでシャンデリアのように脳裏に焼きついている。
翌日は、午後3時過ぎから石垣島の海上保安庁の本部事務所で、保安庁の書類作成に協力したが、何らの犯罪要件も犯していないし、容疑も掛けられていないので、非常に和気藹々としたものであった。海上保安庁の職員も、多分、本音で言えば、最前線の現場で、日々、中国からの圧力を感じ、海上保安庁職員でさえ尖閣諸島への上陸を許されず、実効的支配を自ら拒否している日本政府の姿勢には、フラストレーションを感じているのであろう。
私自身も、私の行動を阻止した当事者であっても、現場の保安庁職員に対する怒りは、かけらもない。彼らをして、東京から指示して、職務として行動させた連中、永田町、霞ヶ関の人間には怒りを覚える。多分、・・・・・・・の気の小さな小さな政党の連中だろう。
(以上、引用終わり)
機会があれば、足高氏にお会いしてみたいと思う。
ちなみに、
現在、魚釣島、尖閣諸島近海は、中国漁船(実際は武装漁船と思われる)が常時、20隻が航行する海になっている。すでに、尖閣諸島は日本でありながら、日本人が行けない海域になっている。
〈参考〉前にも紹介したが、その映像はこちら。
平成22年年5月31日 (月)
報道ステーション【特集】古舘伊知郎が見た緊張の東シナ海
上空から見た尖閣諸島 緊迫の海域!